強迫性障害は時間の見方を変えた
どうもこんにちは。
皆さんの中には、長年生きていると何かしらの疾患により生活や性格が変わった方はいるのではないでしょうか。
今回は私の疾患とそれによる生活の変化を語ってみようと思います。
私は高校入学の直前に強迫性障害を発症し、まともに生活できない日々を過ごすことになりました。
私の通っていた高校は中程度の進学校で、宿題やテストの量がかなり多かったです。
私はそれらについていけず、課題をこなしたいのに強迫性障害によりやりきれない日々を過ごしていました。
私は精神科に行きたいと親に申し出ました。
はじめは両親は精神科にかなり抵抗があったようですが、後に私の様子を見かねて連れて行ってくれました。
私は精神科で薬をもらいました。
本当にこんなもので治るのか疑っていました。
2週間ほど服用を続けても効果は無く、色々と絶望していた時、医者に言われてもっと服薬量を増やしました。
すると、数日のうちに症状が噓のように消えていき、私はそれまでできなかった学校の勉強や自分の趣味を時間の余すところなくやれるようになったのです。
長々と書いてわかりづらかったかもしれませんが、これは、わたしの人生の大きな転換期でした。
決して喜ばしい事ではないのですが、このことを経験して以来、時間に対する見方が大きく変わりました、良くも悪くも。
どんな隙間時間も無駄にはできない、自分は人より時間を失ってしまったのだと何度も自分に言い聞かせていました。
そのかいあってか、学校の成績は右肩上がりだったのですが、決して幸せではありませんでした。
病気のせいで自分は部活動すらやっていないんだからと、謎の後ろめたさや焦燥感にいつも駆られていました。
時間を惜しむのが悪い事とは言いませんが、それを理由に周りのクラスメイトともなんだか感覚が合わず、上手にかかわることができませんでした。
そんなこんなで夏休みに入りそれなりに普通の生活を取り戻していた最中、今度は薬の離脱症状により身動き取れない状態になってしまいました。
これはさらに私の性格の変化に追い打ちをかけました。
2週間ほど身動きが取れない状態を夏休みに経験して、私には時間がないのだとより強く認識するようになりました。
その後は成績や体力づくりには励んでいたものの、些細な時間の無駄にもイライラと焦燥感に駆られるようになってしまいました。
今回はただ病気になって性格や生活が大きく変わることを紹介しましたが、一概にその変化がよいのか悪いのかは分かりません。
今こうして国公立大学に入学できたのはかつての自分のおかげですが、その代わりにもっと大事なものを失ってしまったような気もします。
深い友人関係や恋愛などとは、大きく遠ざかった生活を送ってきてしまいました。
そんな変化を起こす力がこの病気に限らず色んな病気にあると思うと、人生どうなるか自分には全く分からないなともおもいました。
もっぱら今では怠惰な大学生ですが笑。
いまいち落ちどころのない文章になってしまいましたが、この記事を読んで何かしら感じ取ってくれたらうれしく思います。ではまた。