出る杭は打たれるけれど、沈んだ杭は引き上げてもらえる?
皆さんこんにちは。
さて、今回は私が精神疾患で休学することになった時に、何となく心の中で感じたことを記事にしてみました。
同じ状況の方々に、ぜひ読んでいただきたいです。
早速ですが、日本では出る杭は打たれるとよくいいますよね。
しかし、私はその逆もまた然り、だと思うのです。
つまり、調子が乗ってきたり、皆がうらやむようなものを成し遂げた人は、日本人社会では(ほかの国の事情はよく知らないのですが)疎ましく思われたり、小さなミスで大きな批判を浴びたりすることが少なくありません。
これは少し残念と思う人もいるかもしれません。
しかし、沈んでしまった杭にたいしてはどうでしょうか。
何事もないかのように無視されるでしょうか。
これはどうやら、そうでもないといえそうです。
僕の個人的な経験では、誰かがストレスに潰されそうになった時、先天的なもので何かしらの障害を抱えているとき、関わりのあった人は、それが少数であるほど、親身になって救おうとしてくれる、または心のこもった言葉をかけてくれる、そんな風に思います。
つまり、出る杭は打たれるけれど、沈んだ杭は引き上げてもらえるようです。
だからと言ってこの、出る杭は打たれる、沈んだ杭は引き上げられるこの世の中が素晴らしいものだといいたいわけではありません。
皆ができるだけ公共の福祉に反さない範囲で自然に生きられる世界こそ(理想論ですが)多くの人が目指したいものだと思います。
出る杭に執着して非難を浴びせていては不自由な世界になってしまうし、かといって沈んだ杭に対する制度がなければ生命倫理に反する非道な世界になってしまいます。
ぜひ、バランスのとれた世界を目指していきたいですね。ではまた。