【人間関係につかれた方へ】人が一人でいない理由【貢献感を通して考える】
皆さんこんにちは。
皆さんは、いつもどんな人と関わりながら生活していますか?
常に一人という方はそうそういないのではないでしょうか?
今回は人がなぜ誰かと一緒に生きていくのか、その理由について少し考えてみたいと思います。
人というのは様々な形で誰かと一緒に過ごしています。
そのもっとも基本的なものが、恋人や夫婦というものかもしれません。
友達同士の関係とは少し違い、夫婦というのはお互いの協力関係がしっかりしていることが多いです。
家事や仕事や子育てといった代表的なものだけでなく、二人の関係にはもっと相補的な意味があると考えられます。
つまり、お互いに助け合う関係にあるということですね。
男女に限った話ではないですが、人というのは何かと相補的な関係を築くのが上手なようで、友人関係から恋人関係など、血のつながりがなくとも自然と相補的な関係を築かれている方が多くいます。
しかし考えてみると案外不自然な話でもありません。
例えば控えめで内向的な性格のこどもに対して外向的な子供なら一方的にお話する事ができるので、それが発展して親友関係を築いている場合はよくあります。
この様な内向、外向のペアは恋人同士でもよく見かけると思います。
一見落ち着いて地味に見える人が派手なファッションの人と一緒にいるのも、自分にはない魅力に惹かれている点で、相補的な関係と言えるかもしれません。
人は、必ずしも優れたものだけを欲するわけではなく、自分と違うものや対極にあるようなものに惹かれてしまう生き物なのかもしれません。
逆に似た者同士が一緒にいるのもよくありますが、こちらは単純に心理的距離の近さがやはり理由と言えるでしょう。
人というのは生きる意味を失うと途端に弱い生物になってしまいます。
誰かのために生きる、または地域や社会に自らの意思で貢献しようとするときに、本来の活力を取り戻します。
この様な他者に貢献することによって得られるエネルギーとしてもっとも身近で得やすいものが恋人ではないでしょうか。
お互いがお互いのために生きているという目的意識は、無意識のうちでも強く作用します。
ある意味では生きる意味を失わない最も手軽で身近な手段が恋人関係と言えるかもしれません。
色々と話が逸れてしまいましたが、結局のところ、友人にしろ、恋人にしろ、誰かと一緒にいることで少なからず貢献感を得ることができます。
その貢献感が人生の生きる意味となるのではないかと、私は思います。
時には人間関係にうんざりしてしまうこともあるかもしれないですが、今身近にいてくれる人がいるのならば、大切にしたいですね。
皆さんが幸福な人生を送れることを願っています。ではまた。