強迫性障害とうつのブログ(仮)

強迫性障害とうつに悩む学生の雑記ブログ。元々強迫性障害と生活をともにしてきたが、大学生のころにうつ病と未知との遭遇。自分の抱えた問題や解決策をただただ世間の人にも知って欲しいので趣味でブログはじめてみました。

遊ばせる者は尊敬され、遊ぶ者は侮辱される

 


 皆さんこんにちは。

今日は少しひねくれたことを書いてみたいと思います。
皆さんの中にはゲームやアニメ、漫画が好きな人はたくさんいると思います。

 

というか日本人ならほとんどの人が当てはまると言っても過言ではないと思います。

かく言う私もそうです。

2人の小さな女の子が机に座り、タブレットPCでビデオゲームをして楽しむ。左の女の子に集中する

 

 

 しかし、そうしたゲームやアニメ、漫画にあまりに没頭し過ぎて親に叱られたりする経験もあったのではないでしょうか。

 

なぜ叱られるのか、それは遊ぶことによる自分への利益が楽しいということだけだからですよね。

 

もし、勉強やスポーツに励んでいる子供がいても、しかりつける親はそうそういないでしょう。

なぜなら、その知識や体力は将来への資産になるからです。

 

 


 以上のことから無駄だと世間から認知されがちな、誰かの創作物で遊ぶ行為ですが、反対にそれらを創り出す人々はどうでしょうか。

 

彼らは圧倒的に称賛される立場にあることは、多くの人が知るところだと思います。

 

皆さんはこのような事実をどう思うでしょうか。

当然のことと思うのでしょうか。

確かにそれも正しいと思います。

 

 

 

 しかし、少しだけ見方を変えるとどうでしょう。

遊ぶ側と遊ばせる側。

同じ一つの商品を介してつながっているのに世間からの評価は対極にあります。

 

時々そんなことが矛盾しているのではないかと思うときがあります。

供給する人と受け取る人、どちらもその存在が必要不可欠なのに扱われ方はまるで違います。

 

 


 ひとつはその希少価値にあると思います。

製作者は一人一人が責任を持って仕事をしているため、一人でも欠けてしまうと成り立たなくなりますが、消費者は、言い方は悪いですが、替えが利きますので一人一人の価値が薄くなりがちです。

 

 また、制作側は誰かを楽しませるという目的であるのに対し、消費者の目的は自分が楽しむことだけなので、社会的な倫理観からも制作側の方が尊ばれるのは理解できます。

 


文字通り人のために動くというのが働くことですので、やはりそれだけ働く立場にある人の方が尊敬できることです。

忙しいオープンプランオフィスで働くビジネススタッフ

 


 私がここで伝えたいことは、別にどちらかが素晴らしいとか遊ぶことを尊敬しろとか、そういうことではなくて、あくまで一人の人間が、遊ぶ側と遊ばせる側の両方に立つことが、皆が幸せになるのには必要なことではないかということです。

 

 

 まあ結論としては、よく働いてよく遊ぶ当然のことなのです。

 

 

面倒なことをあれこれ考えていると、一周回って当たり前の結論になることはよくあって、その度に世の中よくできているなあと思ったりもします。

 

 ご覧いただきありがとうございました。ではまた。