多くの人がすることは、疑ってもまずは試してみるべきだ
皆さんこんにちは。
皆さんの中には、やりたくもないのに毎日やらなければいけない事がたくさんある…そんな生活を送っている方も多いのではないでしょうか?
今回はそんな後ろ向きな感情を少し前向きにするお話をしてみたいと思います。
毎日やらされていると感じるもの、例えば学生の方なら勉強が当てはまるのではないでしょうか?
将来何の役に立つのかもわからずやらされている、そんな気分ではモチベーションは上がらないですよね。
正直に言って、私も中学高校時代の勉強が、将来どう役立つのかについてははっきりとわかっていません。
しかし、やるべきだとは思います。それはなぜか?
理由は多くの人がやっているからです。
なにをくだらないこと言ってんだと思われそうですが、ふざけて言っているわけではありません。真剣です。
ではなぜ多くの人がするからと言ってやる必要があるのでしょうか?
まずはなぜ多くの人に勉強させるのか、その理由を考えてみましょう。
私たちは成長期である大切な時期に親や学校の先生から勉強するように教えられます。
少年少女たちは将来社会に出て、社会や人々のために働く大切な存在です。
当然賢く優秀な人に育ってもらった方が、その人だけでなく社会のためにもなります。
では、そんな大切な卵である学生たちに無駄な勉強をさせることは誰の得になるでしょうか?
当然、誰の得にもなりません。
つまり、本当に勉強が無駄な事ならば大切な子供にそんなことをさせるはずがないのです。
今日多くの人が今も勉強していますが、それが全て無駄なことだとしたら大変な教育改革が起きるはずでしょう。
しかし、それは長い間起こっておりません。
昔誰もが教育を受けられるわけではありませんでしたが、そこから教育は普遍的なものへ進化しました。
そうして多くの人が勉強するようになりました。
なぜなら、それに価値があるといままでの長い経験から分かったから、多くの人がそうするのです。
また勉強に限った話ではなく、ポケモンやマリオカート、モンハンなど多くの人に好まれるゲームはやはり私も大変面白いと思いましたし、様々な賞を受賞した映画はやはり私も面白いと思いました。
多くの人が魅了されるものには相応の価値があるのです。
さて、散々多くの人のやることはやってみてと述べてきましたが、長い物には巻かれろというのは少し違います。
私はあくまで触れてみてほしいのです。
必ずしも多くの人がやることに熱心になってほしいわけではありません。
たとえ興味の起きない事でも、なにか発見があると思いますので、世の中を上手に生き抜くコツとして、まずは疑いながらでも、多くの人がする事を少しでも試してみてほしいと思います。
この記事が皆さんの生活の一助になれば幸いです。ご覧いただきありがとうございました。