強迫性障害とうつのブログ(仮)

強迫性障害とうつに悩む学生の雑記ブログ。元々強迫性障害と生活をともにしてきたが、大学生のころにうつ病と未知との遭遇。自分の抱えた問題や解決策をただただ世間の人にも知って欲しいので趣味でブログはじめてみました。

強迫観念がやばすぎて、まともに暮らせない

最近強迫観念が酷い。

酷いと言っても、本当に重症な人からしたら軽症なんだとは思う。

でも健常者から比べたら遥かに酷い暮らしだとも思う。

 

最近椅子を購入した。

今までは小学校の時から使っていた子供用の椅子でPCでの作業をしていたが、おしりが痛くなったりするし、以前から何度も買い替えたいと思っていたので、思い切って買い替えた。

 

しかし、強迫性障害の僕にとって高価なものを購入するのは非常に大変。

まずネットでの買い物は比較対象が多すぎて、選ぶのにいつも非常に苦労する。

これは高価なものじゃなくても、消耗品じゃなければいつもこう。

選んでから後悔するのが一番恐怖を感じるので、ありえないくらい選ぶのに血眼になる。

 

そして、高価なものは買った後も大変。

最初は触るのもなんだかそわそわするし、少しでもダメージがあると強迫的に大丈夫なのか確認行為を繰り返すので、かなり時間が経つまでまともに扱えない。

 

ゴミを片付けるのも苦労する。

高い買い物だと、たとえゴミでもまだ中に大事なものが残っている気がして何度も中身を確認してしまうし、この作業は非常に疲れるのでそもそもゴミを片付けるのを先延ばししてしまいがち。

今回の椅子のゴミは流石にでかいのですぐに片付けたけど、案の定強迫行為と格闘することになった。

 

そして今も強迫観念が頭にこびりついた状態で、この記事を書きなぐっている。

なんのために書いているのかはよくわからない。

 

先日症状が酷いので薬を増やしてもらった。ただレキサルティとかいう薬は価格が高いのをどうにかして欲しい。

医者もなんでわざわざジェネリックが無い薬を処方してくるんだろう。

貧乏人なので非常に迷惑だ。

 

薬を増やしてから一週間以上経つけど、効いている感じはない。

精神科の薬は最低でも3ヶ月以上かけて様子をみるとかYou Tubeで医者が言っていたけど、正気だろうか?

この状態で何ヶ月も待たせるのは流石に無理がある気がする。

成功者は、行動量が桁違い。

どの分野においても、一定の成功を収めている人というのは行動力がとにかくすごいと思いました。

 

 

よく見ていたユーチューブチャンネルと同じ方が運営するブログを見に行きましたが、多い時で1日に2本記事を投稿していたようでした。

しかも内容はかなり濃く、何千字にも及ぶレビューやコラムなどです。

 

正直僕の場合はどれだけ頑張っても1日に一本書けるか書けないかというレベルなので、改めて成功者の行動力の凄さを実感しました。

 

僕は一本記事を書いたら疲労からしばらくブログに手を付けなくなってしまうので、月に数えるほどしか記事を更新できませんが、成功する人は何十本も記事を投稿できていることに驚きです。

 

私生活の方もかなりアクティブな人柄なようで、友人を誘って遊んだり恋人作りに努めたり、体を鍛えたりと僕からすると陽キャというか、かなり違う生活を送っていることに若干落ち込んだりもしました。

 

なにせオタクっぽいコンテンツの発信者の方だったので、私生活が陽キャ感あふれているというギャップにかなり衝撃を受けたんですよね。

 

同じ世界に住んでいる人かと思っていたので、かなりショックでした。

 

 

趣味で始めたブログではありますが、収益化とかも少し考えたりしていました...が、やはりその壁は果てしなく高いようで...。

 

うつになってから非常に行動量が少なくなってしまった現在、社会に適合するのは非常に困難を極めています。

 

 

やはり社会的に認めてもらうには行動量が大事だなと、つくづく成功者のブログを見て思いました。

 

成功者は、行動量が桁違い。

ブログでフォロワー数や収入をなぜわざわざアピールするのだろう

ブログを始めてから、他の多くの人のブログ記事を閲覧する機会が増えましたし、調べ物をした時もどこのブログサイトだとか、書いている人が気になったりするようになりました。

 

 

ただ純粋に疑問なのですが、なぜわざわざプロフィール欄などでTwitterのフォロワー数や月収、年収などをアピールするのだろうと疑問に思いました。

 

 

純粋に嫉妬したり自慢がうざいと思ってしまうことは多々あるのですが、それらのアピールによって記事への興味が高まることって個人的にはほぼ無いんですよね。

 

せっかく面白そうな内容の記事が見つかったと思ったら、プロフィールには自慢話ばかり...これで何度ブラウザバックしたか分かりません。

 

 

結局その稼ぎやステータスを誇示したところで読者に何かメリットでもあるの?と思ってしまいます。それがなければ聞いてもない自慢話を突然聞かされる感覚です

 

 

まあネットの世界ですから、自己顕示欲が強い人が集まりやすいのかもしれませんが、この風潮はなくならないかなあと思ってます。

 

 

私は今やっていないので詳しくは分かりませんが、同じようなことがTwitterやインスタグラムなどではもっと繰り広げられているんだろうなあと思うと、SNSで病む人が続出するのが分かる気がしました。

 

 

私は自己PRというものが苦手なので何が正しいのかとかは分かりませんが、自己PR というのはそれを伝えることで相手にメリットを提示できる場合にするものではないのでしょうか

【強迫性障害】液晶画面保護フィルムを貼る作業が非常に苦痛なお話

自分のよく困っている症状が強迫性障害としてメジャーなものばかりではないため、時々他の病気でもあるんじゃないか、もしくは本当にただ心が弱くて情けない人間なんじゃないかと疑ってしまうことがあります。

 

今回はそんな強迫性障害としてメジャーな症状ではないけれど、日常生活の中で困っている、液晶画面の保護フィルムを貼る作業について書いていきます。

 

液晶画面の保護フィルムを貼る作業って、誰でも結構集中して入念にホコリとか汚れを取り除いて慎重に行うと思うのですが、これが私にとってかなり苦痛な作業なんです。

 

 

 

目次

 

 

 

 

買い物全般における苦痛

 

まず買い物全般に言えることですが、商品選びでものすごく時間がかかります。

今はアマゾンなどのネットショッピングという選択肢もあるので選択肢が膨大で、しかもそのほとんどを閲覧してから決めないとダメだという強迫観念があるので、いつも買い物をする時は商品選びでクタクタになってしまいます。

 

また、アマゾンなどで買い物するときは、商品を決めてから購入するまでも、画面上の情報量が多くて確認作業に時間がかかってしまいます。

ちゃんとしたメーカーから販売されている商品なのか、見落としているクーポンの情報がないかとか、個数は合っているかとか、配達先がちゃんと自宅になっているか何度も確認したり、金額が間違っていないかとか。

 

確認作業に疲れすぎて、本来楽しいことでもあるはずの買い物が億劫になってしまいます。

 

 

液晶画面保護フィルムを4枚無駄にした

本題の液晶画面保護フィルムを貼る作業についてです。

 

まず貼る前の段階で、画面の指紋や汚れを入念に拭き取りますが、これも少し時間がかかったりすると次々ほこりが乗っかっているので何度も繰り返し除去するのが苦痛です。でも気づいているのに1つでもほこりが侵入するのは嫌なのでやっぱり確認してしまいます。

 

そして保護フィルムをいよいよ貼るのですが、次は位置合わせの問題です。

サイズにもよりますが、少しでも位置がずれると見栄えが悪くなり、端の方に気泡が入り込む原因にもなるので傾いたりしないように慎重に貼らなければならないのですが、これがまた苦痛です。

 

一発勝負なので緊張しますし、自分の手で全体が見えなくて把握しにくくなったりもするので確実に位置を合わせるのが困難で、この位置合わせで何度も失敗をくりかえしてしまいました。

 

その結果、保護フィルムを4枚も無駄にしてしまいました。本来なら1枚貼ればそうそう張り替えずに長く使用できるのに、少し気泡やホコリが入ったから、位置がずれたから、そんな理由で捨てるごとに自分に嫌悪感がわきます。

が、だからといって不完全な保護フィルムはどうしても脳がその状態でも大丈夫、という結論になってくれないので、嫌々ながら貼り直さないと強迫観念がなくなりません。

 

こういう繊細な作業こそ、私のような神経質な人間は上手くこなしたいのに、いかんせん不器用なので上手くいきません。

強迫性障害×不器用って最悪の組み合わせだと思うのですよ。

 

保護フィルムを計4枚無駄にした貼り付け作業で、計5時間以上無駄にしました。

もちろんその間には、これは貼り直すべきなのかと一人で葛藤する時間を膨大にかけながら。

そして最後の1枚は、また1時間以上かかりましたがようやく私の脳が不安にならない出来で貼ることができました。

 

お金も時間もさんざん無駄にして、なぜ自分はこんなことに不安になったり完璧性を求めてしまうのだろうと、自己嫌悪に陥ります。

 

 

一応家電量販店にはお金を払えば保護フィルムを貼り付けしてくるサービスがあるところもあり、利用しようかとも考えましたが、こんなことで人に頼ってお金を無駄にするのも、貧乏人なんだからダメだと思ってしまい結局自分で貼り付けました(結果的に頼んだほうが安かった)

 

心のどこかでは、きれいに保護フィルムを貼れなくてもとりあえず貼ってあるだけでいいじゃん、と思っているのですが、いざ失敗するととにかく気になって他のことに支障をきたすので結局貼り直してしまいます。

まるで自分の頭の中に不安を煽るなにか別の存在がいるかのようで、本来こうありたいと思う、細かいことは気にしない自分と葛藤をしています。

 

他にも不安になる症状は山ほどありますが、強迫性障害にはこんな苦痛もある、ということを紹介してみました。

 

お読みいただきありがとうございました。

コメント欄のない記事が苦手です

調べ物をしたり、誰かの意見を集めたいときにインターネットはすごく便利です。

 

手軽に投稿できるのでYoutubeよりも基本的に情報量は多いですし、本などで調べるようも圧倒的に早く目的の情報が得られたりします。

 

ただ最近のネット記事って、検索すると企業が書いた記事が圧倒的に検索結果の上の方に出てきます。これらの記事って途中から有料だったり、いちいち必要性のないページ切り替えがあって個人的にはかなり好感度が低いのですが、一番気に入らないのはコメント欄がほぼ無いことです。

 

コメント欄がないと、情報が一方通行で終わってしまって、その記事に書いてある内容が世間一般の価値観とどれくらいずれているかとか、信用性のある情報なのかとか、何かと読んだ後にモヤモヤした気持ちになることが多いです。

 

例えば政治にまつわる気になった話題を検索してみても、やはり多くは企業によるニュースみたいな記事が手前に出てきますが、ちょっと不自然な文面や何処かの年代に絞った内容の記事が出てくることも多く、読んでいて違和感があることも多いです。

 

そんなときコメント欄で反対意見とかが多かったりすると、一般的な人々の思考も分かりやすいですし、読んでいて安心することも多々あります。

 

やっぱり情報の一方通行にならないように、記事のコメント欄は結構重要だと思いました。

 

【ドメインをできるだけ低価格で取得する方法を紹介しています】

 

お読みいただきありがとうございました。

最近の電話受付は機能していないお話。

先日新しいPCを購入しました。個人的に買ったものとしては人生で最も高い買い物だったので、冷や汗ダラダラで注文しました💦

 

注文して無事受け取れたのはいいのですがディスプレイへの出力でトラブルが起こってしまいました。

 

問い合わせ方法はメールか電話の2択です。はじめはメールでやり取りしていたのですが、こちらがメールを送ってから半日~1日後くらいに返信が来るので、一刻もはやくトラブルを解決したいこちらとしては不満でした。

 

そこで電話での問い合わせを試みたのですが、一向に繋がりません。別に混雑している時間というわけでもなかったのに、なぜか全く繋がらず、ひたすら自動音声で別の時間に掛け直すことを提案されるだけ。この場合悪質なのが、やはり通話料がこちら負担なところです。

 

いままで気にしてなかった自分も悪いですが、先月だけで通話料が1000円以上かかっていました。仕事で使っているとかでも無いですし、明らかにこのとき何分も待機時間をとられたことに起因しています。他にも私用で少し電話を使う機会はありましたが、長い通話はしていません。

 

このPCの件以外にも、SONYAmazonなどの企業の通話も利用したことがありますが、とにかく存在意義がわからないくらいには繋がりにくい。人手不足や人員削減するならば、むしろ窓口自体失くしたほうが潔いと思うのですが...。

 

もちろんこの手の仕事はコストがかかるでしょうし、チャットやメール受付が機能していればそれでかまわないのですが、とにかく消費者としては生産者にちゃんと購入後の不備などを連絡できる場を設けるべきだ、と思いました。

 

自分がたまたまなのかもしれませんが、結構購入した商品で品質が悪いものも多いです。そういったときに連絡が取れないのはモヤモヤした気分になりますし、建前だけの問い合わせ窓口にも嫌気がさしました。コストカットを追求するのも必要ですが、商売として最低限のことはするべきだと思います。

正真正銘のニート(社会不適合者)に

もうすぐ正真正銘本当のニートになってしまう(;_;。

 

とにかく就職活動が、面接が怖くてしかたない(;_;。

文句を言おうと思えばたくさんあるけど、そういう世界に生まれてしまったんだからしょうがない。誰かに意見するほどの実績もなにもない。

 

 

でも諦めたところで逃げることもできない、ぼーっと生きているのは許されないから。これといった強い生きがいもないし、ただただ生まれたことに後悔しながら毎日無駄にご飯を食べて呼吸を続けています。

 

さすがに周りの人間、親も姉も自分にしびれをきらしてきている。正直誰にも顔を合わせたくない。

 

 

何ができるのかも、何をするべきなのかも、全然わからない。肝心なところはいつも野放しで、どうでもいいことはしつこく説教されたりする。変な世界だなあ、ほんとに...。

 

 

面接前、何日も動悸がして、頭の中おかしくなって、なにも手につかなくなってしまう、これはどうにかしなくては前に進めない、どうしよう、怖い。

 

 

 

あー、寿命とか誰かにあげられたらな...とか生産性のない愚痴を一人頭の中でつぶやいています。

 

 

同じこと考えてる人がどれだけ居るのかわからないけれど、ここには一人、こういう人間が、どうしようもない人間がいると残しておきたかったから、大したモチベーションもないけれど記述しています。

 

共感してくれる人は周りに居なかったけど、同じように思っている人はやっぱりあんまり居ないのかな、なんだかんだ皆生きるの上手で本当にすごいと思いました。

海岸のゴミがすごい件/ボランティアしてきました。

みなさんこんにちは。

突然ですが、今回は私が今までやってみたかったボランティア活動についてです。

 

 

何でボランティアをやってみたかったかというと、ひとえに私に自信が無いからです。

自信がないからこそ、なにか社会の役に立つことで、自分の存在意義を確立したいのです。まあつまりは偽善者なのです。

 

 

こういう思考パターンを持っている人たちのことをメサイアコンプレックスといい、あまり肥大化すると、かなり問題のある思考パターンになってしまうそうです。

あたかも自分が救世主にでもなったかのように犯罪的思考になってしまうのかもしれません。

 

 

まあ、前置きはさておき、下の写真は私が今回回収したゴミ袋です!

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小雨が降る中でしたが、家庭用ゴミ袋5個分のゴミを回収することができました!

 

 

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上の写真はゴミを分別し終わったもの。圧倒的にペットボトルや空き缶のゴミが多かったです。みんな、ポイ捨てはやめようね!!

 

 

私たちが集めたゴミの中には花火が入っていたケースや、麦わら帽子など、本当にいろいろなものが捨ててありました。

 

 

これだけたくさんの人が住んでいるので、仕方のないことなのかもしれませんが、少しでもこうした不当なごみが減ることを願うばかりです。

 

 

以上、そんな日常の一コマでした。

 

 

ちなみに、今回は友人と二人での作業でした。

こんなことにも付き合ってくれる人がいることにとても感謝しています。

 

 

日々うつの波にさらされている日々において、友人の存在って大きいです。

たまに一緒にいると辛いこともあるけれど、それでも一人の孤独さに比べればだいぶんましです。

友人は大切にしましょう、そうしよう、うん。

 

 

では、また近々何かしらのボランティア活動したら記事にしたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

クソッタレな人生

皆さんこんにちは。

今回は自分の悩みについて思いの丈を綴ってみようと思います。

 

私はもう21歳になる男ですが、とんでもなく恋愛というものには縁遠い生活を送ってきました。

 

誰かとお付き合いしたこともないし、当然童貞です。こんなこというと私のブログは凄く説得力の低いものに思われてしまう記事もあるかもしれませんが、こういう状況で生きてきたからこそ考えることもたくさんあったし、今だからできる考え方があると思っています(勝手な自己満ですが)。

 

まずは学生時代を振り返ってみようと思います。

こんな人生でしたが、大学二年生までは何にも気にすることなく過ごしてきました。というか、それ以外に気にすることがたくさんあって恋愛というものはほとんど考える余地がなかったのかもしれません。

 

中学生になって大事な友人と疎遠になり、一部教師や同級生たちが憎くて常に怒りにも似た感情で過ごしていました。

 

高校生になり、心機一転頑張ろうと張り切っていたところ、ヤツに襲われてしまいました。そう、強迫性障害です。

高校一年生のスタートはこいつのせいで最悪なものとなりました。運動部に入部しようと思っていたのですが、これもとてもじゃないですがそれどころではありませんでした。学校も何度も休んだり早退したりしていました。

 

だれしも自分の人生を悲観的に見てしまうものなのかもしれませんが、私の人生もそれなりに息苦しいものだったと思います、いや、もしかしたらそう思うことで今の自分の情けない状況を肯定したいだけかもしれませんが。

 

そうして、大学生になり、充実とまでは言えませんが、それなりに普通の大学生活を送れていたと勘違いしていた矢先、今度はうつ病に困極まることになりました。2018年にうつ状態になってから今に至るまで、結局明確によくなることもなく、死にたいような、消えたいような、ふらついた心境のまま大学生活をスタートすることになってしまいましたが。

 

うつといっても、誰か大切な人が死んでしまったとか、そういう深刻なことがあったわけではありません。なにかといわれれば、おそらく恋愛感情が原因なんだと思います。

 

私には誰かと付き合うような自信も度胸もありませんが、なんとなく、嫉妬にも似たような感情がある時から芽生えて、そこからいろいろな思考に発展していき、いつも終着点はどうしようもない思考になっています。言葉にするとこんな数行になってしまいましたが、これが私のうつの正体だと思います。

 

うつに悩みながら過ごす日々、誰かに相談する機会も何度かありましたが、なんというか、男の恋愛話や、それにまつわる劣等感のようなものは、すぐにちゃかされてしまうというか、昔の友人と話していても馬鹿にされたような感じで終わってしまいました。

 

私はどうしても、喜怒哀楽が大きすぎるのかもしれません。

友人たちの些細な言葉にも立腹してしまうし、なにより傷つくことが本当に多いです。

 

どうしようもないやり場のない思いは、こうしてネットで吐き出すことが多いです。じゃないと頭がどうにかなってしまいそうだから。

 

人と会えば会うほど、だんだん会うのが怖く感じます。というか、沈んだ気分の時って自分以外全員敵なんじゃないかって、なぜだか思うんです。

 

 

こんな恐怖の毎日に少しでも共感してくれる方がいればうれしく思います。

今回はただ気持ちを吐き出すだけの文章でした。

お読みいただきありがとうございました。

 

右利きになりたかった

突然ですが、私は左利きです。

生まれつきのもので、親も特に矯正しようとは思わなかったようです。

 

私も幼少期はなにも気にせず過ごしていたのですが、神経症的な性格のためか、あるときから左手を使うことが嫌で仕方なくなりました。

何となくこう、心臓に近い左手を使って文字を書いたり、ボールを投げたりするのが体に悪いんじゃないかって思うようになってしまい、いまでもたまに悩みこんでしまうことがあります。

 

そんななか、今日晩飯を食べているとき、ふとしたきっかけで右利きになりたかったなあ、とつぶやいたのですが、姉に「じゃあ練習すれば?」みたいな感じで返されました。

 

そりゃあ、今までだって何度も右利きになりたくて右手で文字を書こうとしたり、ボール投げを右手で練習したり、いろいろとしてきたけど、何一つうまくいかなかったんですよ。

 

無理っていうか、すごく疲れるし、第一何年もかけて習得した文字の書き方や箸の使い方、ボール投げのフォームとかが簡単に身につくわけないんですよ。

 

それにバイトや仕事の場では当然スピードや繊細さが要求されるので、やっぱり本気でやろうとしたらいつだって利き腕を使うことになります。

 

何が言いたいかというと、そういう無責任な適当な発言にすごくイライラしているわけです。

 

私がなんど思い悩みながら右利きにあこがれて、時間を無駄にしていることを自覚しながら考え込んでいたかも知らないのに、すごくイライラします。

 

簡単に練習してほいほい利き腕なんて変えられるものではないんですよ。

 

ただ、あまりそんなこと考える人もいないのか、ネットで右利きになりたいなどと検索しても出てくるのは左利きになりたいだのなんだのという記事ばかり。

まあ左利きの人口は少ないのでしょうがない気もしますが…。

 

どっかにこの気持ちを分かってくれる人がいることを祈ります。